僕は、光の動きをしながら、光の方へ導くお仕事もしています。
その中で感じたことなのですが、自分の中の光が活躍できるのは、自分の中に闇があったからだということも忘れてはいません。
光の無意識は、奇跡を起こすのが得意です。
ですが、奇跡が起きる前には、必ず光と闇のせめぎ合いがあります。
そのせめぎ合いの中で、闇が光を飲み込めば闇に落ち、光が闇を吹き飛ばすことができれば奇跡が起きます。
奇跡は起きるべくして起きています。
人の中には、闇も光もあるからこそ、奇跡は起きるのです。
心が闇に傾いて苦しい時期があったからこそ、心が光に辿りついた時に、喜びや、ありがたさを噛みしめることができます。
僕にもし子供ができたら、最初から光の事は教えません。
心が闇に傾く時期を乗り越えた後の光に価値があるからです。
泣いてもいい。
悲しむことがあってもいい。
悔しい事があってもいい。
恐怖におびえてもいい。
だけど、それはすべて自分自身が引き寄せていたということに、いずれは気づいて欲しい。
それに気づいたら、どうすればそれを引き寄せないか自分でその方法を見つけて、自分で修正することがとても大切なこと。
そうやって自分が変われることも、奇跡の一つです。
そうやって、奇跡を何度も体験してもらいたい。
心が光であることのありがたさを噛み締めてもらいたい。
そうやって、光の感性が大きくなったあかつきには、一緒に酒を飲みながら、どんな奇跡を体験してきたのかを語り合いたい。
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