自己肯定感?自分は本当はすごいんだ、自分が一番なんだと思いたい心の弱さ

数年前に、「自己肯定感」という言葉が流行りました。

僕は、その「自己肯定感」という言葉に、すごく違和感があったのを覚えています。

なぜそんなに自分を肯定する必要があるの?と。

 

無理して自分を肯定する必要があるということは、自己否定が根底にあるような感じがしたんですよね。

「誰かに認めて欲しい」という思いがあるからこそ、自分で自分のことを「自分は本当はすごいんだ」「まだ誰も気づいていないけど、自分が一番すごいんだ」と、なぐさめるようなことをしなければいけないのだと感じています。

 

心の状態でいうと、自己を肯定しなければいけない状態というのは、心の弱さから発生している感じがしました。

では、心が光の状態だとどのようになるのか?ですが、自己否定も自己肯定も無い状態

そもそもその部分に意識が向かず、現状ありのままをそのまま受け入れて、今その地点から草花のように日をおうごとに成長しようとすることに意識が向いている状態

 

草花は、自分を否定したり、肯定したりはしません。

どういう環境に生えようが、嵐や雨風になぎ倒されようが、引っこ抜かれようが、ただただ生命活動をしようとします。

種を残し、枯れてもなお肥料として次の世代の栄養となります。

そういった協力関係があるからこそ、自然は強いんですね。

 

ですが、認められたい人は、協力の意識ではなく、競争の意識が芽生えます。

「あの人より私の方が美人」

「あの人より私の方が優れている」

「あいつより俺の方が仕事ができる」

「あいつより俺の方が偉い」

そんな感情が湧き上がっている状態でもし仮に人と協力関係を作ったとしても、それはうわべだけの関係性。

自分が一番だと思っている限り、人は自分以下とみなしているのと同じ。

心はとても孤独です。

しかも、自分が一番だと思いたいだけで、現実はそうでも無いことも無意識のどこかで気づいているため、余計に虚しくなってしまいます。

 

大きくなる樹は、ありのままの環境や現実を受け入れて、ただただそこで生命活動を続けて成長してきたら、自然と大きくなっただけなんですね。

その大きな樹は自慢もしてきませんし、慢心もありません。

もし草花に競争の意識が芽生えていたたとしたら、この地球はこんなに自然豊かな場所ではなかったかもしれません。

私達人間も草花のように、自己否定も自己肯定もない光の状態での協力関係が作れると良いですよね。

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