僕はこれまでスピリチュアルスクールの定期訓練会をやってきて、時々耳にした言葉があります。
それは「それって小濱さんの偏見ですよね」という言葉。
まったくその通り、偏見というのは間違っていないと思います。
なぜなら、◯界レベルのものの見方で物事や人の波動を見極める必要があるからです。
それでいうと、今の一般的なものの見方というのも、場所や環境、時代が変われば、一般的ではないものの見方になります。
偏見は普通にあることだからこそ、文化の違いに衝撃を受ける「カルチャーショック」という言葉もあります。
それでいうと、一般的概念という偏見で生きて来た人が、◯界の感性を知った時に「それは一般的ではありません」と思うのは普通のこと。
なので、「偏見でものを見ている」という言葉は、本当にその通りなんですね。
それでいうと僕は、人が僕の事を偏見で見てくれることによって、得をしてきたことも実感しています。
例えば、僕が水晶を販売する時には、必ず「スピリチュアルスクールをやっていて、波動というものを長年研究してきたんです」とお客様に伝えると、お客様はその情報があるからこそ、僕のことを「この人は目に見えない波動がわかる人なんだ…」という偏見によって僕を見てくれます。
そして、よくあるのが「白金台でお店やっているんです」と伝えると、「あの白金台で?!すごいじゃないですか!」とびっくりされる人がいます。ですが、僕としては、「ただのしがない石屋さんなんだけどな~」という感じなので、「白金台でお店、すごい!」と思ってもらえるのも、偏見によってそうなってしまっているだけなんですね。
なので、偏ったものの見方というのは、あって当たり前ですし、実際は普通なんだけど偏見によって普通じゃなく見られるということで得をしていることもあるんですね。
そしてもっというと、ビジネスでは人に与える自分(または商品)の印象によって、偏見というものを上手く利用している人や企業も少なくないはずです。
偏見という言葉はネガティブなものだと認識が大きいのですが、みんなある程度偏ったものの見方で生きています。
その中で、スピリチュアルという分野があり、
- ◯界のものの見方
- ◯宙系のものの見方
- 仏教系や神社系のものの見方
- 自然界のものの見方
などがあるだけなんですね。
僕がスピリチュアルスクールでやっているウェルシークラスでは、◯界レベルのものの見方で見ることで、心の中の光や、無意識レベルの光の部分を大きくして行くことを軸としています。
その軸が無くなると、ただスピリチュアルの話をする烏合の衆になってしまうので、やはり軸がブレないという事は非常に大事ですね。
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